最初から気に食わなかった。
同じような人種だと想ったからだ。 それは議員の父を持つという、転校生。 「初めまして、柚木さん」
自分と似たようなものだからこそ、あまりかかわりたくないと想ったが 嫌っていても、それを見ないようにしていても。 「柚木さんは…何でそんな仮面を被っているんですか?」
分かっているのだろう。 「そうですね。それが、柚木さんでしたね」 だからこそ、触れようとしてくる。 「ああ。そうだ。…僕はいつも通りだ」 触るな、触れるな。 「もっと、見せてくれませんか?」 底のないはずの、深淵を。 「…何を?」 見るな! 「その、仮面の下の貴方を」
Masquerade 所詮この世は、仮面舞踏会。
冬も近い秋の放課後。 アンサンブルコンサートの本番も近いが、個人的に練習がしたいと思っていた。 「…考えていたより“重い”な…」 広く、でも本当はふたりだけの留まった世界という解釈をしなくてはならないのだなと思った。
生きようとするのは“エロス”であり、死を求めるのは“タナトス” これを作ったワーグナーという人物は、かなりの詩人と偏屈で“イカレた野郎”だったのではないのかと思った。 それらは自分だけの世界と外の世界の狭間に立って、音を作り出していたのだろうとも思う。 俺も実際に、そいつが居たら殺したくなるくらいムカつくだろう。 だが、音は決して悪いわけではない。 それは“無限旋律”の手法で捲っても終わらない、物語のように続くからまるで人生のようだと想った。
「愛の女神の望みはただひとつ、夜の闇が訪れること」 いつものように人のよさそうな笑顔で、近づいてくる。 「…何時から其処に居た」 気付かなかったことに、自分で驚いた。 自分の失態に対してだが、それを相手に不快そうに俺は聞いた。 「先刻から。あまりにも美しかったのでドアの向こうで聞かせていただきました」 あいつは、そんなことは気にも止めてはいなかった。 「これは第一幕への前奏曲だから違うがな」 「失礼。そうでしたね、このタイトルは二幕のデュエットの部分ですね…こういう音も、出せるんですね。素敵だと想いますよ。“生きる中の死”が現れてましたから」 お世辞には確かに聞こえない。 「…当然だ。それくらい出来なくてはコンクールに出ても仕方ないからな」 誉められない演奏なら、誉めない。 「今日は“仮面”を被らないんですね」 「…ああ。お前はもう気付いているんだろう?」 仮面の下の真実の顔に。 「最初は、貴方が苦手だと…想っていました。 分かっていたのだと、言う。 「それが分かっていながら、何故俺に近づいた?」 それだけは分からない。 「…僕は、気がついてしまったんです。 理解が、出来ない。 「どういうことだ?」 より、近づいてくる。 「僕には仮面は要らない。それが僕だから」 隙を見せないように、と。 「でも、貴方は仮面が必要です。それは貴方だから」 それでも、近寄ってくる。 「ただそれだけのことです」 逃げられなくなるように、追い込まれている気がする。 「ああ、そうさ。 それでも、強気でいなくてはならないと思う。 「…それこそが、貴方の素敵なところです」 自己を保つための、自信がなければ自分ではないから。 「…誉め言葉をありがとう。 “あいつ”の真意が、見えなかった。 「柚木さん…僕と、付き合って見ませんか?」 驚き、目を一瞬だけ見開いた。 「…世迷い事を言うな。不快だ」 本当に、不快だ。 「僕は…寂しがり屋なんですよこれでも。しかも、臆病。 そう言うことも、分かっていたかのような返事を寄越した。 「じゃあ俺と居て何かがあるのか?俺はごめんだね。お前なんかと居ても実りにはならなさそうだ」
人が分かる人。 「何がだ?」 社交辞令と賛辞、裏と表。 「普段はすべての物事に、触れるのも怖いと思うくらい臆病なんですが…貴方に会うたびに表に出てくるんですよ。 話している間に世界が鮮やかな夕焼は紅と青が混ざり、紫に染まる。
ばさりと、髪を横に翻す。 「馬鹿馬鹿しい…」 その場所から離れようとすると、後ろから抱きすくめられ腕ごと抱え込まれる。 身体が、動かない。 「離せ」 そう言って、離す奴ではないと分かっているが。 「表の顔と裏の顔。 耳元で囁く声が、奥まで響く。 「お前は俺に説法でも説いているのか?そんな暇は無い。さっさと離せ」 「…そして“仮面”を楽しむことも必要。それならば…僕と一緒に楽しみませんか?」 俺は驚いて、抵抗することを忘れた。 「…本気か?」 本音と建前の世界を裏と表を使い分けて生きることを。 「これでも、本気なんですよ」
本気なら、死ねと言ってやろう。 「…姫君、なんなりとお望みのことをお申し付けください」 いちいち癪な言い方だ。 「今すぐ飛び降りろといったら、死ねるか?」 「So sturben wir, um ungetrennt…貴方も死ぬことになりますよ“イゾルテ”」 嫌な返し方だと、舌打ちをした。
この腕に、と囁く。 「………っ!」 そう。 振り払えばいいのに、もう振り払う気は起きていなかった。
自分も苦手だと想っていたこと。 「通報しようとは考えたがな」 そして興味も湧いた。 「それは、ちょっと…困りますね」 本当に困るという、顔をしてはいない。 駆け引きをする男だ。 「…俺は、お前の思うようにはならないからな」 降参のような宣言。 「いつだって貴方の思い通りにはならなくて、僕の思い通りにだってならないのが世界の理です」 「当然だな。僕はそんなお坊ちゃまは嫌いだね」 虫唾が走るくらい。 「…それでも、僕はきっと貴方とならどんなに思い通りにならなくても楽しむことが出来る」 自分を見ているような、駆け引き。 「保障は?」 「僕は、貴方が好き。それに貴方は拒否をしなかった。 「叶わなかったら嫌な響きだな」 担保なんて、使う言葉ではないだろうに。
後ろから回された手に強く、力を入れられる。 「……自意識、過剰だな」
あいつ…加地は俺を離すと、今度は正面へと来た。 「僕と供に踊り、果てましょう…梓馬さん。
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