最初から気に食わなかった。
同じような人種だと想ったからだ。

それは議員の父を持つという、転校生。

「初めまして、柚木さん」


日野のヴァイオリンが好きだといって、追ってきたと聞く。
どれだけ狂信的なのだろう。正直どうでもいいとさえ想っていた。

自分と似たようなものだからこそ、あまりかかわりたくないと想ったが
向こうはそんなことなどお構いなしで。

嫌っていても、それを見ないようにしていても。

「柚木さんは…何でそんな仮面を被っているんですか?」


それでも、近づいてくる。


「仮面?僕は至って“普通の姿をしているつもり”だけど?」

分かっているのだろう。
普段は見えない部分の、暗く深い闇を。

「そうですね。それが、柚木さんでしたね」

だからこそ、触れようとしてくる。

「ああ。そうだ。…僕はいつも通りだ」

触るな、触れるな。

「もっと、見せてくれませんか?」

底のないはずの、深淵を。

「…何を?」

見るな!

「その、仮面の下の貴方を」

 


















Masquerade

所詮この世は、仮面舞踏会。


























冬も近い秋の放課後。
夕暮れも早いからと、早めに屋上で練習をしていた。

アンサンブルコンサートの本番も近いが、個人的に練習がしたいと思っていた。
そして幸いなことに、この時間はあまり居ないと知っていたので静かに練習に集中することが出来た。

「…考えていたより“重い”な…」

広く、でも本当はふたりだけの留まった世界という解釈をしなくてはならないのだなと思った。


歌劇、トリスタンとイゾルテ。
この物語は生あるところの死。

生きようとするのは“エロス”であり、死を求めるのは“タナトス”
そして愚かな人間という生き物のひとつの人生の始まりと終わり。
甘き媚薬という誘惑、本能に隠された欲望。

これを作ったワーグナーという人物は、かなりの詩人と偏屈で“イカレた野郎”だったのではないのかと思った。
音楽家全体にもいえることなのかもしれないが。

それらは自分だけの世界と外の世界の狭間に立って、音を作り出していたのだろうとも思う。
自信も相まって、想像がつかないくらいありえないくらいの人物だろう。

俺も実際に、そいつが居たら殺したくなるくらいムカつくだろう。

だが、音は決して悪いわけではない。
この音はどんなものであっても、歌劇の世界の旋律のひとつであり、すべてだ。

それは“無限旋律”の手法で捲っても終わらない、物語のように続くからまるで人生のようだと想った。


ドアの方から拍手が聞こえる。
振り返ると、嫌っている“あいつ”が居た。

「愛の女神の望みはただひとつ、夜の闇が訪れること」

いつものように人のよさそうな笑顔で、近づいてくる。

「…何時から其処に居た」

気付かなかったことに、自分で驚いた。

自分の失態に対してだが、それを相手に不快そうに俺は聞いた。

「先刻から。あまりにも美しかったのでドアの向こうで聞かせていただきました」

あいつは、そんなことは気にも止めてはいなかった。

「これは第一幕への前奏曲だから違うがな」

「失礼。そうでしたね、このタイトルは二幕のデュエットの部分ですね…こういう音も、出せるんですね。素敵だと想いますよ。“生きる中の死”が現れてましたから」

お世辞には確かに聞こえない。
耳はおそらく良いのだろう。

「…当然だ。それくらい出来なくてはコンクールに出ても仕方ないからな」

誉められない演奏なら、誉めない。
そういう奴なのだと、直感した。

「今日は“仮面”を被らないんですね」

「…ああ。お前はもう気付いているんだろう?」

仮面の下の真実の顔に。

「最初は、貴方が苦手だと…想っていました。
嫌われているとも知っていましたし」

分かっていたのだと、言う。
そうだろう。感づいているなら当然だ。

「それが分かっていながら、何故俺に近づいた?」

それだけは分からない。
だから、直接聞くことにした。

「…僕は、気がついてしまったんです。
その苦手というものは自分も持っているものだったからだと今は…思います」

理解が、出来ない。

「どういうことだ?」

より、近づいてくる。
俺は無意識に“あいつ”を正面にしながら、足を柵の方へ背を向けフルートを片手に持ったまま後ずさっていた。

「僕には仮面は要らない。それが僕だから」

隙を見せないように、と。

「でも、貴方は仮面が必要です。それは貴方だから」

それでも、近寄ってくる。

「ただそれだけのことです」

逃げられなくなるように、追い込まれている気がする。

「ああ、そうさ。
この世は所詮、本音を隠しあった仮面舞踏会。それすらも楽しめなくてどうする」

それでも、強気でいなくてはならないと思う。
虚勢であっても、強くなくては自分ではない。

「…それこそが、貴方の素敵なところです」

自己を保つための、自信がなければ自分ではないから。

「…誉め言葉をありがとう。
しかしそれで、何がいいたいんだい?話がまったく見えないが」

“あいつ”の真意が、見えなかった。

「柚木さん…僕と、付き合って見ませんか?」

驚き、目を一瞬だけ見開いた。
しかしすぐに冷静に戻り、悪態をつくように告げる。

「…世迷い事を言うな。不快だ」

本当に、不快だ。
これ以上、俺にかかわらないで欲しい。

「僕は…寂しがり屋なんですよこれでも。しかも、臆病。
これは嘘じゃなくて本当なんですよ」

そう言うことも、分かっていたかのような返事を寄越した。

「じゃあ俺と居て何かがあるのか?俺はごめんだね。お前なんかと居ても実りにはならなさそうだ」


「手厳しい。これでも本心をそこそこ隠すことは“上手”なんですよ、僕。それにあなたくらい、“人が分かる人”でないと僕も…隠れていた部分が出ないみたいで」

人が分かる人。
それは、おそらく本質を俺があいつの本質を見抜いていたことを指しているのだろう。
互いに同じ匂いを、感じ取っていた。

「何がだ?」

社交辞令と賛辞、裏と表。
本音と建前があることが当たり前の世界。

「普段はすべての物事に、触れるのも怖いと思うくらい臆病なんですが…貴方に会うたびに表に出てくるんですよ。
“暗い欲望”が」

話している間に世界が鮮やかな夕焼は紅と青が混ざり、紫に染まる。


「お前の欲望なんてどうでもいい。一人で勝手に血圧上げていろ。
俺は今、不快だから帰る」

ばさりと、髪を横に翻す。
今は、正面からあいつの顔を見たくない。

「馬鹿馬鹿しい…」

その場所から離れようとすると、後ろから抱きすくめられ腕ごと抱え込まれる。
力の差があるのか。

身体が、動かない。

「離せ」

そう言って、離す奴ではないと分かっているが。
俺のプライドが抵抗しないことを許さなかった。

「表の顔と裏の顔。
そんなものを隠すために、この世で仮面は必要…ですよね?」

耳元で囁く声が、奥まで響く。

「お前は俺に説法でも説いているのか?そんな暇は無い。さっさと離せ」
そう言ってもやはり離す気配は無い。

「…そして“仮面”を楽しむことも必要。それならば…僕と一緒に楽しみませんか?」

俺は驚いて、抵抗することを忘れた。
こいつは、楽しもうといってくる。

「…本気か?」

本音と建前の世界を裏と表を使い分けて生きることを。
…イカれている。

「これでも、本気なんですよ」


「じゃあ俺を本気にさせるくらいのことをしてみろ」

本気なら、死ねと言ってやろう。

「…姫君、なんなりとお望みのことをお申し付けください」

いちいち癪な言い方だ。
わざわざ歌劇の中のタイトルを述べてくるなんて。

「今すぐ飛び降りろといったら、死ねるか?」

「So sturben wir, um ungetrennt…貴方も死ぬことになりますよ“イゾルテ”」

嫌な返し方だと、舌打ちをした。


「…それに、貴方はもう捕らえられているじゃないですか」

この腕に、と囁く。

「………っ!」

そう。

振り払えばいいのに、もう振り払う気は起きていなかった。


「暴れないんですか?」

自分も苦手だと想っていたこと。
それは同じようなことで、あいつが自分を映しているように見えたから。

「通報しようとは考えたがな」

そして興味も湧いた。
仮面を被って楽しんで生きようといってくるのだから。

「それは、ちょっと…困りますね」

本当に困るという、顔をしてはいない。
最初から通報する気がないことくらいは見通している。

駆け引きをする男だ。

「…俺は、お前の思うようにはならないからな」

降参のような宣言。
それに対しては、思っていたより真面目な答えで返された。

「いつだって貴方の思い通りにはならなくて、僕の思い通りにだってならないのが世界の理です」

「当然だな。僕はそんなお坊ちゃまは嫌いだね」

虫唾が走るくらい。
それでもこいつは違うと俺は知っているけどそう言うしか出来なかった。

「…それでも、僕はきっと貴方とならどんなに思い通りにならなくても楽しむことが出来る」

自分を見ているような、駆け引き。
仮面の下に見え隠れしている、本性。

「保障は?」

「僕は、貴方が好き。それに貴方は拒否をしなかった。
それこそが証明であり保障…いや、好きという気持ちこそが担保みたいなものですね」

「叶わなかったら嫌な響きだな」

担保なんて、使う言葉ではないだろうに。


「それならば、続くように願ってください」

後ろから回された手に強く、力を入れられる。

「……自意識、過剰だな」


こいつと居て、仮面というもう一人の自分の姿で楽しんで生きてみること。
それもいいだろうと、今は思った。

あいつ…加地は俺を離すと、今度は正面へと来た。
そして跪き、俺の右手を取る。

「僕と供に踊り、果てましょう…梓馬さん。
この現実という舞台で華麗なる“マスカレード”を」


暮れ行くオレンジ色の世界の中、右手に口付けられる。


「…なんと憎らしい“トリスタン”だ」






俺は満足気に笑いその手を取ると、終わり無き仮面の遊戯の舞台へと躍り出た。



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