このまま、ずっと居られるなんて思ってなどいない

それでも、明日もその次の日も

俺たちは変わらないで居られると思ったんだ。

その姿、心は変わったとしても


絶対は揺るがないと、信じていた。


それが、終わりを告げた日までは。


















nowhere


何も無い、何処にも居ない自分。空虚の舞台で紡がれることのないアリアをひとり歌い続ける。


























鳴り響く死者を弔う鐘の音。

それは、降りしきる雨の中迷わぬよう空へと誘う天上の歌声のようだった。


葬儀が終わり、その場を退場したが。

暁彦だけが残っていたのが気になった。

暫くしてもそのままだったので、話しかけた。

「…まだ、居るのか?」

「………」

あいつは、喋らない。

「…風邪、ひくぞ」


「………」


それでも、無言。


「……戻らない、変わらないと知っているのに。どうしても…後悔してしまうのは分かるが…」

やっと、口を開いた。


「…音楽の喜びを知っていたこの気持ちなんて、無ければいいのに」

言葉は、懺悔のように聞こえる。

傘を投げた。


「俺だって、知っていた。苦しみも、喜びも。
それでも音楽を愛していたから、美夜はすべてを賭けた」

そのまま後ろから抱きしめる。

「…俺には、何でそのすべてがない?」


「…それが、お前だからだ」

そう、ほかでもないお前だから。

「それでも音楽を旋律を愛する心があれば、俺も愛せたのに」


“その想いがあれば、強く愛せた?”

だがそれは“美夜”であり“暁彦”ではない。

「何で、俺は無いんだろう…」

雨に濡れて俺は泣く。声も上げずに。

「………っ…」

泣かないお前が居るから、俺が代わりに泣いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

俺は暁彦を家に連れ込んだ。
無理やりにも風呂に入れたが始終無言だった。

「音楽が姉さんを殺した…だから俺は音楽を捨てる」

きっと、ひとつの決意なのだろう。


「じゃあ、俺は音楽に生きることにしよう」

それが読み取れたから、自分は“逆”の決意を告げる。

「何故?」


「…美夜を忘れないために」


辛い選択だと知っていても、お前にそれ以上悲しみを俺は背負わせたくなかった。


「お前は、辛いことをなんかしなくていい。俺が、それを背負うから」


「……っ…」

「…貴方が背負うというのなら…傷跡を俺にを残して欲しい」


「…何を、言っている…」


「貴方が続けるということ、俺が手放すということ。俺が継ぐべきものを貴方が背負うなら。
俺にその事実を、生涯忘れないような傷跡を下さい」


雨のせいで夏の夕方も薄暗い、世界。

「こういう…ことですよ」

暁彦は持っていたタオルを投げ捨てると、俺を押し倒しながらキスを仕掛けてきた。

「……ん…っ……」

静かな雨の音と、卑猥な音が響く。


暫くはその深い口付けを堪能していた。

唇を離す。

真っ直ぐな、曇りのない真紅の瞳が俺を見る。

「…傷跡が、消えないように…俺を…抱いてください」


“捨てない”俺に、傷を残せと。

…それが、決意ならば。

「…分かった」


従うことに抵抗もなければ否定することもなかった。

「…ん…っ」

キスをしながら、暁彦を押し倒す。


美夜と同じ、真紅の瞳。

「…無理?」


「いいや。ただ、手加減は出来ないかもな」


「…構いません…」


手荒く、着ていた制服を肌蹴させる。

首筋に噛み付くように、唇を寄せる。

「……っ」


ぞくりと、身を震わせる。


「…こんなことで、感じるのか?」

「…さ…あ…先輩が、上手いからでは?」

まだだと、言うように。


挑発的な笑みを浮かべ言葉を遮る様に、噛み付くようにキスをしてきた。

「…もっ…と、強く…っ」

背に回す腕。

「…っ…あ…あっ…!」

痛みと快楽で、より艶のある声が上がる。

指先に力が込め、背に傷跡を残す。


血が、滲むのが分かる。


「…これ…が…目に見える傷跡…」


満足な笑みを浮かべたお前を下に、もう一度口付ける。


「…っ…ん…」


絡める舌。滴り伝うのは混ざり合った唾液。


「…っ…はぁ…」


ずっと、繋がったままの下半身。


「あっ…あ…はあ…っ」


少し腰を動かすと、すぐに反応する。


「……んっ…は…あっ」


「相当、感じやすいんだな…」

「は…あ…っ」

床に敷かれ皺になり染みをつくっていく制服が目に入る。


「…っ…あ……ああ…」

それを見ていると、禁忌を犯しているのが分かる。

「…っ…も…う……」

潤む真紅の瞳。
今まで付き合った女は居たけれど。

「………!」

初めてそこまで、本能が呼ばれるような。
誘惑と熱を帯びた瞳を見た。


目が離せないくらい、余裕がなくなった。

「……あっ……ああ…っ…」

動きが、早くなる。


「あ…っはあ……ああっ!」


「……っ」

俺は本当に消えない傷跡を、暁彦に残した。

染み出るのは、白い欲望の証。


「は…あ…」

息の上がる、肩。


「…………暁彦…」


名を呼んでも、お前は答えない。


こんなことをしてしまった。
だが、後悔の念なんて抱いていなかった。

空の心と失った悲しみを、何かで埋めたかったのだと想う。


身体で埋められるなんて、想っていなかったけど。
このときはそれくらいしか手段が互いに浮かばなかった。


“このとき”はそういうことだと、想っていた。

美夜の葬儀が終わった日。

俺が暁彦を抱いた日から、あいつはヴァイオリンに触れることはなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 


俺は留学すると、運よく大手プロデューサーの御眼鏡にかない、
すぐにプロとして活躍の場を得ることが出来た。

その中で、彼女とであった。
始めは仕事で。気が合って。

何のことは無い、それだけの出会い。


それでも空虚を埋めるには心地よい、誘惑と情熱。


いい女だったとおもう。
音楽を語っても、自分たちを語っても。

俺は熱を上げた。歌を忘れるくらい。

「貴方が好きです。生涯貴方を愛せる…今の俺はそう想っている」

しかし彼女はそうではなかった。


どれだけ愛を告げても。
どれだけ好きなのか伝えても。

貴女は振り向くことはなかった。


「貴方が愛をくれても。私は貴方の愛だけでは生きていけないの」

それは、音楽を忘れるくらい熱を上げたどり着いた果て。


「…くそっ!!」

俺は酒に溺れ煙草に手を出し。

契約違反の果て、病を患った。


舞台を降りることとなった、自分を自分で嘲笑う。

「…なんて、あっけのない結末なのだろうな」


最後に俺も音楽という呪縛から解放された。
だが愛想をつかされたというのが正しいだろう。


手放してしまったのではなく、たったそれだけの情熱で簡単に
音楽を失ってしまったのだから。


そんな酒に溺れていた日々の中、不思議な夢を見た。

舞台の上で俺はひとり歌う。

「      」


声は、出ない。


「        」


歌が、紡がれない。


「              」

声の出ないアリアを、お前は聴いている。
俺の声はお前には、聴こえているのだろうか?


聴こえていればいいのと願う。

「                  」


ただ何も言わずに暁彦は私を観客席から見つめるだけ。


そんな、夢だった。


目が覚めて、自覚する。

此処にて、何処にも居ない。

空虚だけが、自分の心に残った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

その夢を見た後、数日もしないうちに日本へと戻った。

舞台を降りた俺が帰ってきたのは、数年ぶりの懐かしい街。


見上げれば雨が降る、空。


あの日も。

変わらないものと想っていたものを失った日も…雨が降っていた。

気がつけば、彼女の墓の前にいた。


「…俺は、君の代わりに音楽にすべてを捧げた筈だったのに
すべてを簡単に失って、振られてしまったよ」


美夜の墓の前でひとりつぶやく。

後ろから、暁彦の声がした。


“金澤先輩”

懐かしい声。

ああ、この街に帰ってきたのだと今更ながらに自覚した。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

ふたりで雨に散々濡れた後、暁彦に無言に車で乗せらマンションに連れて来られた。


タオルを渡されたが、何もする気力がないのが見抜かれたのか。
頭からガシガシと拭かれた。


「…先輩、これくらいは自分でしてください」


そう、呟く声が耳に残る。


こんなにも俺は、音楽以外は空っぽだったのか。

そう自覚させられた。

一通り濡れたところを拭き終わると。
暁彦は自身を拭いて、立ち上がるとキッチンへと向かった。


そして戻ってくるとグラスを二つ持ってきた。

「どうぞ」

香るのは、強い香草の匂い。
それはジンのロックをが入っていた。

「暖かいもの…というよりアルコールがいいでしょう。気分的には」


「………」

「私も、ですから」


そういって、お前はグラスの中身を煽った。

「……」

無言で、グラスを口にする。
多少濃度を氷で薄めていても、それは暖かいものだった。


「…姉が愛した音楽。貴方が愛した音楽。私が愛せなかった音楽。
続ける罪を背負うと、貴方は、そう言ってイタリアへ旅立った」

だが、続けるどころか見捨てられてしまった。


カランと、ジンの入ったグラスの中の氷が溶ける。

「呪いのようだと最初は想った。そして最後は…貴方も失った。一つの、情熱で」


「…そうだな。愚かだよ俺は」

契約を違反して、女に現を抜かして。
簡単に音楽を手放した。

「…もう堕ちるところまで堕ちた。何も無いよ、俺は」

グラスを床に置く。


「…いえ、まだですよ」


「…どういうことだ?」


深く紅い瞳が、俺を捕らえて離さない。


「まだ、私が堕ちていません」


「お前が…?」


堕ちていないと、言う。

「私は、貴方が羨ましかった。音楽を求め、そして恋に身を窶す心が欲しかった。
そして、悲しみを分かち合える貴方の心が欲しかった」


頬に触れるのは火傷しそうな位熱い、指先。


「一緒に、這い上がれないくらいの奥底へ行きましょう」





断るなんて、出来なかった。
違う。断る理由すらなかった。

そうすることによって、解決できてしまうことだと想ったから。





空になってしまった俺自身の“空虚の心”を満たすには…飢えを満たせばいい。







「…ん…」

軽い口付け。


香るのはアルコールの匂い。
混るのは、仄かに香るコロン。

唇を離すと、不満そうな顔をしていた。


「…そんなに“彼女”には優しくして…いたのですか。
…貴方の中の恋情はそんなものではないでしょう?」

全く足りないと。

強く誘惑を掛けて来る真紅の瞳。


「…そうだな」


寂しさを埋めあうのは喪失。
欲望で満たそうとするのは空虚。


混ざり合う、欲望と情。

「ん…っ…」


息が止まるくらいの、激しい口付け。
背に回された腕に、指先に力が入る。


「…は…ぁ…っ」


唇を離すと、口の端から溢れ出たものが光る。

潤む瞳。早くなる鼓動。

「…もっと、貴方…の奥底を見せて…ください」

本能を。真実の自分を。

「…どうなっても…知らないからな」

喪失と空虚を互いに埋めあう。
それが虚しいことだと分かっていても。


「…それが、望みです」

あの日、失ったのはお前で。
空っぽになったのは、俺だった。


「もっと、私を…壊してください」


そして俺はもう一度、お前を抱いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

互いに立ち上がれないくらいの疲労の中、掠れた声でお前は俺のほうに顔を向けて言葉をかける。

「…これが虚しい行為と分かっていて。私が此処に居て、貴方は其処に居なくても」

「…私は、貴方が欲しかった。振り向いてくれなくてもいい。ただ貴方が、羨ましくて…そのすべてが欲しかった」


暁彦はこんな俺を羨ましいと、言う。

「…そういわれても…俺のすべてをあげることは出来ないと…思う」


俺は空っぽだから。


「いいんです。私はそれでいい。見てくれなくても、それでも貴方がほんの少しでも見てくれればいい」


「…俺は…空だから。最初から此処に居ないんだよ」


お前が、喪失を持っているように。
俺も、空虚を持っていた。


「…空でも…それでも貴方に惹かれて止まない私のほうが虚しいではないでしょうか?」

此処に居ないから、何処かに居たかった。

俺の顔に暁彦の手が触れる。

「…俺はお前が“居る”ことが嬉しい。そして、その“想い”が欲しいとも思う…こんな空でもいいならくれてやりたいよ。
だけど…」

言葉を終わらせる前に顔を引き寄せられ、口付けられる。


「…っ……」


すぐに唇を離し、真っ直ぐと見つめる。
捕らえて離さないと、言うように。


「わたしは…貴方の空虚すらも愛おしい」


埋めあう喪失と空虚。


俺たちはそうやって、求めることしかできない。
傷跡を残した日から。

「だから、それで構わない」

それを受け入れたお前に目が逸らせない。


「…お前は…」


お前は静かに笑う。


「傷は分かち合った。もうこれで貴方の空虚は私のもの。それ以上に答えなどいらないでしょう」


お前の指先が背に回り、俺の傷跡に触れる。


「…私は、此処に居ます。ずっと、貴方の側に居ます」

 

これは生きている証拠で、互いを繋ぐ痕。



傷を埋めあい、傷跡を残しあう。

それは絶対であり唯一の揺るがないものとなるのだから。

離れることはないのだろう。


俺の指先も、お前の顔に触れ


「…お前が、そうやって求めるなら…俺も、お前を求める。お前の持つ喪失を、俺の“空虚”で埋めよう」



その紅い瞳を正面から見て、告げる。


「それが…俺たちの辿り着いた果ての答えなのだろう?」




優しく、罪深く、愛しむ様に抱きしめ合う。







空虚のような自分の世界に宿った暁が自分を導くのならば、その手を取って俺は深淵へと堕ちよう。




 


</BODY> </HTML> </head> <body> <script type="text/javascript"> var gaJsHost = (("https:" == document.location.protocol) ? "https://ssl." : "http://www."); document.write(unescape("%3Cscript src='" + gaJsHost + "google-analytics.com/ga.js' type='text/javascript'%3E%3C/script%3E")); </script> <script type="text/javascript"> var pageTracker = _gat._getTracker("UA-4120652-1"); pageTracker._initData(); pageTracker._trackPageview(); </script></body> </html>