このまま、ずっと居られるなんて思ってなどいない それでも、明日もその次の日も 俺たちは変わらないで居られると思ったんだ。 その姿、心は変わったとしても
nowhere
それは、降りしきる雨の中迷わぬよう空へと誘う天上の歌声のようだった。
暁彦だけが残っていたのが気になった。 暫くしてもそのままだったので、話しかけた。 「…まだ、居るのか?」 「………」 あいつは、喋らない。 「…風邪、ひくぞ」
やっと、口を開いた。
言葉は、懺悔のように聞こえる。 傘を投げた。
そのまま後ろから抱きしめる。 「…俺には、何でそのすべてがない?」
そう、ほかでもないお前だから。 「それでも音楽を旋律を愛する心があれば、俺も愛せたのに」
だがそれは“美夜”であり“暁彦”ではない。 「何で、俺は無いんだろう…」 雨に濡れて俺は泣く。声も上げずに。 「………っ…」 泣かないお前が居るから、俺が代わりに泣いた。
***
俺は暁彦を家に連れ込んだ。
無理やりにも風呂に入れたが始終無言だった。 「音楽が姉さんを殺した…だから俺は音楽を捨てる」 きっと、ひとつの決意なのだろう。
それが読み取れたから、自分は“逆”の決意を告げる。 「何故?」
「…貴方が背負うというのなら…傷跡を俺にを残して欲しい」
「こういう…ことですよ」 暁彦は持っていたタオルを投げ捨てると、俺を押し倒しながらキスを仕掛けてきた。 「……ん…っ……」 静かな雨の音と、卑猥な音が響く。
唇を離す。 真っ直ぐな、曇りのない真紅の瞳が俺を見る。 「…傷跡が、消えないように…俺を…抱いてください」
…それが、決意ならば。 「…分かった」
「…ん…っ」 キスをしながら、暁彦を押し倒す。
「…無理?」
首筋に噛み付くように、唇を寄せる。 「……っ」
「…さ…あ…先輩が、上手いからでは?」 まだだと、言うように。
「…もっ…と、強く…っ」 背に回す腕。 「…っ…あ…あっ…!」 痛みと快楽で、より艶のある声が上がる。 指先に力が込め、背に傷跡を残す。
「は…あ…っ」 床に敷かれ皺になり染みをつくっていく制服が目に入る。
それを見ていると、禁忌を犯しているのが分かる。 「…っ…も…う……」 潤む真紅の瞳。 「………!」 初めてそこまで、本能が呼ばれるような。
「……あっ……ああ…っ…」 動きが、早くなる。
俺は本当に消えない傷跡を、暁彦に残した。 染み出るのは、白い欲望の証。
息の上がる、肩。
空の心と失った悲しみを、何かで埋めたかったのだと想う。
美夜の葬儀が終わった日。 俺が暁彦を抱いた日から、あいつはヴァイオリンに触れることはなかった。
***
その中で、彼女とであった。 何のことは無い、それだけの出会い。
俺は熱を上げた。歌を忘れるくらい。 「貴方が好きです。生涯貴方を愛せる…今の俺はそう想っている」 しかし彼女はそうではなかった。
貴女は振り向くことはなかった。
それは、音楽を忘れるくらい熱を上げたどり着いた果て。
俺は酒に溺れ煙草に手を出し。 契約違反の果て、病を患った。
「…なんて、あっけのない結末なのだろうな」
舞台の上で俺はひとり歌う。 「 」
声の出ないアリアを、お前は聴いている。
「 」
此処にて、何処にも居ない。 空虚だけが、自分の心に残った。
***
その夢を見た後、数日もしないうちに日本へと戻った。 舞台を降りた俺が帰ってきたのは、数年ぶりの懐かしい街。
変わらないものと想っていたものを失った日も…雨が降っていた。 気がつけば、彼女の墓の前にいた。
後ろから、暁彦の声がした。
懐かしい声。 ああ、この街に帰ってきたのだと今更ながらに自覚した。
***
ふたりで雨に散々濡れた後、暁彦に無言に車で乗せらマンションに連れて来られた。
そう自覚させられた。 一通り濡れたところを拭き終わると。
「どうぞ」 香るのは、強い香草の匂い。 「暖かいもの…というよりアルコールがいいでしょう。気分的には」
「私も、ですから」
「……」 無言で、グラスを口にする。
だが、続けるどころか見捨てられてしまった。
「呪いのようだと最初は想った。そして最後は…貴方も失った。一つの、情熱で」
契約を違反して、女に現を抜かして。 「…もう堕ちるところまで堕ちた。何も無いよ、俺は」 グラスを床に置く。
「私は、貴方が羨ましかった。音楽を求め、そして恋に身を窶す心が欲しかった。
そうすることによって、解決できてしまうことだと想ったから。
空になってしまった俺自身の“空虚の心”を満たすには…飢えを満たせばいい。
「…ん…」 軽い口付け。
唇を離すと、不満そうな顔をしていた。
全く足りないと。 強く誘惑を掛けて来る真紅の瞳。
「ん…っ…」
潤む瞳。早くなる鼓動。 「…もっと、貴方…の奥底を見せて…ください」 本能を。真実の自分を。 「…どうなっても…知らないからな」 喪失と空虚を互いに埋めあう。
あの日、失ったのはお前で。
***
互いに立ち上がれないくらいの疲労の中、掠れた声でお前は俺のほうに顔を向けて言葉をかける。 「…これが虚しい行為と分かっていて。私が此処に居て、貴方は其処に居なくても」 「…私は、貴方が欲しかった。振り向いてくれなくてもいい。ただ貴方が、羨ましくて…そのすべてが欲しかった」
「…そういわれても…俺のすべてをあげることは出来ないと…思う」
此処に居ないから、何処かに居たかった。 俺の顔に暁彦の手が触れる。 「…俺はお前が“居る”ことが嬉しい。そして、その“想い”が欲しいとも思う…こんな空でもいいならくれてやりたいよ。 言葉を終わらせる前に顔を引き寄せられ、口付けられる。
すぐに唇を離し、真っ直ぐと見つめる。
「わたしは…貴方の空虚すらも愛おしい」
「だから、それで構わない」 それを受け入れたお前に目が逸らせない。
「…お前は…」
お前は静かに笑う。
「傷は分かち合った。もうこれで貴方の空虚は私のもの。それ以上に答えなどいらないでしょう」
これは生きている証拠で、互いを繋ぐ痕。
傷を埋めあい、傷跡を残しあう。 それは絶対であり唯一の揺るがないものとなるのだから。 離れることはないのだろう。
俺の指先も、お前の顔に触れ
「…お前が、そうやって求めるなら…俺も、お前を求める。お前の持つ喪失を、俺の“空虚”で埋めよう」
その紅い瞳を正面から見て、告げる。
「それが…俺たちの辿り着いた果ての答えなのだろう?」
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