本当はね。
瞳に映る世界なんて、知れていると僕は知っている。
一分一秒も惜しいくらい、君を愛しているんだ。
Partita 募り往く想いは連鎖し、独占という名の欲望を呼び起こす。
「…君は不安だったの?」 「そんなことは…ないとは…」 「言い切られない?」
何か、言いかけたが。 それが、この話の始まりだった。 「…何故…」 「何故?」 カフェオレが、暖かい湯気を立てている。
「…僕は、君が大切なんだよ。それじゃ、駄目?」 「別に、駄目だとは言わない。ただ、不思議に思っただけだ」 「僕のほうが驚いたよ。君からそんなことを言われるとはね」 本当に、まだ心臓が落ちつかない。 「そうか?」 真面目な分、飛んでいるとは思っていたが。
正直、ここまで飛んでいるとは思わなかった。 「もう日本に居る期間は短い…どんなことでも、大切にしたいと思うから」 しかし、それは嬉しかった。 「…そう、だね」
「だから、思い残すことのないようにと考えてしまうからかもしれないな」 最初は、彼女の音に惹かれた。 だけど。
だけど、怖かった。 手が届くほど近くにある、欲しいもの。 それに触れれば、消えるのではないかと。 「いや、無理にとは言わない。ただ俺の我侭なだけだからな」 いつもの、冷静な顔で君は答えた。 「…ごめんね」 「気にしていない」 「………」
それでも、君は僕を求めてしまった。 “逃げることなど許さない”というように。
だから僕は答えるしかなかった。
「今日は、これくらいにしておく?」 彼女によって、集められたアンサンブルのメンバー。 「そうだな」 互いに、楽器ヴァイオリンとチェロの弓を机に置くと、すぐにしまおうと置いてあったケースを開く。 「それなら、よかった」 松脂の汚れを取り、布で拭きとる。
聞いては居ないけど、図書館にあったDVDでその光景を見て聞いた。 誉め言葉なんてでは表現できないくらいの美しい音。 それは今でも鮮明に思い出せる。 「ああ…」 「パルティータ第2番ニ短調の終曲。 ケースに弓を緩ませて入れると、蓋を閉じる。
「…そんな音のように、人も続けていくのは感情の螺旋」
顔が近づく。 「…ここは、学校だよ?」 呼吸する、音が。 「そうだな」 鼓動の、音が。 「誰か来たら…」 近くなる。 「今日、この練習室は俺たちで最後だ」 早くなる。
静かに押し倒すと床にその髪が広がる。 「…僕は大切なことだからこそ…その手を離したくなかったから、触れられなかった。怖かったんだ」 長い、睫毛がとても鮮やかに見えて。
澄んだ薄い茶の瞳が。
「…怖く…ないの?」 言葉ではなく、君はキスで答えた。 ベストに手を掛けて、ボタンを外していく。 スカーフのピンを抜いてピアノの上に置く。
まるで、神聖な儀式のようだと思う。 「…いつか来る変化を恐れていた自分は、もう居ない。今はただ、失うことを恐れるだけだ」
ひとつ、ひとつとボタンを上から外して行く。 「それは…ただの自分勝手にすぎない想いだとしても?」 「それくらい想える強さがあるだけでも君はとても…強いよ」 途中で止めて、その肌に触れる。
熱を持った指先が触れると、肩がぴくりと反応する。 窓から入ってくる夕日は、僕たちを紅く染める。
酸素を求め、肩が激しく上下する。 「…どうして?」
「忘れ…たく、ない…繋ぎ止めていたい、離したくない…すべてを変えていってしまった君が居ないなんて、もう考えられないんだ…」 肌蹴たシャツに映る、白い喉元。
「それならば、すべてを持っていってしまえばいい。 それくらい想える、独占欲は。 「“こんなこと”でしか繋ぎ止めて置けないわけがないと、分かっていても…それでも、君を求めずには、居られないんだ…」 愛しい人が思ってくれる深いくらいの愛と言う名の執着心。 それはどんなものよりも、美味なものだと知っている。 「…そんなに君が想っていてくれるなんて…考えなかった」
壊すことを、怖がっていた僕に情けないと思う涙と。 「…そうか」
最初は、軽く。 そして、段々深くなって往く。
「…綺麗だよ、蓮」 耳元で囁くと、君は恥らうように顔を赤らめ目を背ける。 「……っ…」 その姿、表情(かお)はどんなものよりも、美しくて。
「………」
…少しだけ、苛めてみたくなる。
その間に、ベルトのバックルを手早く外すと同時に、舌を根元から絡め取る。 「…んんっ!!」 驚いた君は、目を見開く。 唇を離す。 「…まだ早い訳じゃ…なさそうだね」
「…でも、もう少しだけ楽しませて欲しいから、我慢してね」 「…っ!!」 意地悪なことを言うと、自分でも思う。 そして顔を段々と下へと、舌を這わせて行く。 「…んっ…あ…はあっ…」
反応した身体が背を反らす。 「…ここが、感じるのかな?」 鼓動が、もっと早くなるのが分かる。 「…んんっ!」 再度、組み敷いた身体がもがくように動く。 「痛かった?」 「……いや…大丈…夫…だ」 最初よりも、顔は上気して赤くて。
「でも…」 「俺はこの一分だって、一秒だって。愛しいと思える“今”を、感じたいんだ…」 上半身を起こして、まっすぐ此方を見据えてくる。 自分が思っていることを、自分が考えていたことを読まれたような気がした。 「本当に?」 あまりにも、都合がよすぎて錯覚だとも思った。 「…嘘なんて…言わない」 信じたくても、信じられないと思ってしまっていた。 「僕は、もう僕を止められない。 でも、これが…現実だ。 越えてはならないと、止めていた理性が。
その言葉は、呪縛。
息が止まるくらいの、激しさ。 「溶…ける…くらい…」
僕は自分のネクタイを緩め、シャツのボタンを数段外す。 身体が、熱い。 「…はぁ…ん…っ…」 君は、もっと欲しいという表情で強請る。
上気した頬、涙が零れそうなほど潤む瞳。
それは、至高の快楽への誘惑。
「……っ…はぁ」 唇を離すともう、着ていたシャツは最早肌を隠す役目などなく。
「…そんなに、見ないで…」
「…んっ…あ…」
僕はその指を引き抜くと、銀糸を伝わせながら自分の口に含ませる。 「……甘い…ね」
「…は…ぁ…っん…っ…」 呼ばれてしまった本能と渇望。 「素敵な鳴き声をもっと聞かせて欲しいんだけど…駄目?」
“欲しい” 聞こえないくらいの声。
欲望が本能に呼ばれ、連鎖していく。
僕も自身のベルトに手を掛ける。
目を細めて、まわされた腕に、指先に力が入る。 背に爪が喰い込み、痛みと甘い快楽が宿る。 君の中はきつくて、はとても熱かった。
心配になるが、それでもいいと君は言う。 「大丈夫…だから…」
「…分かった。君が求めるままに」 だから僕も、求めるよ。
鳴く声と何度もぐちゃりと合さる粘膜の音が、耳に付いて離れない。
「……は…あ…ん…っ」 より深く奥へと、君を犯していく。
汗が垂れていく。
「…あ…あっ…はぁ…ああっ!!」
ふたりで、堕ちていった。
君に溺れた僕は、君無しでは生きられないよ。
まだ、互いに息が上がっている。
汗で額に張り付いた髪が目にかかっていたから、それを取りさると君は静かに、そして嬉しそうに笑う。 「…これで、君を忘れない。きっと、君も俺を忘れないだろう?」 本当に、優しく笑うから。 「忘れなんかしないよ。何かがあっても…何かなんて、なくても」
僕たちは、もう戻れない。
逃げるつもりも戻るつもりもないけれど。
「こんな僕の身体と心だけど…」
僕たちは蛇の嘘の誘惑に負けて、甘美なる禁忌の果実を喰らった。 もう、茨の道を生きるしかない。
君となら、どこまでも堕ちていける。
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