本当はね。


目も、耳も…この音を奏でるための指先も


触れるものすべてが君を求めている。

瞳に映る世界なんて、知れていると僕は知っている。


だから、この身すべてで君を感じているんだよ。


「彼女の音は好き。目指す音色だと今でも考えている。だけど、君に惹かれ、好きだと言ったその日から…」


そう。


「君だけを、想っているんだよ」

一分一秒も惜しいくらい、君を愛しているんだ。

















 

Partita

募り往く想いは連鎖し、独占という名の欲望を呼び起こす。


























「…君は不安だったの?」

「そんなことは…ないとは…」

「言い切られない?」


不安だったのだろうか。
その瞳が愁いを帯び、揺らぐ。


「…僕は怒らないよ。言ってくれればいい。どんなことだって、伝えなければ伝わらないのだから」

何か、言いかけたが。
言い出せなかった。

それが、この話の始まりだった。

「…何故…」

「何故?」

カフェオレが、暖かい湯気を立てている。


「何故、俺を抱かない?」


あまりにも、都合が良すぎる言葉。
夕日が入るこのカフェだけ、時間が止まったように思えた。

「…僕は、君が大切なんだよ。それじゃ、駄目?」

「別に、駄目だとは言わない。ただ、不思議に思っただけだ」

「僕のほうが驚いたよ。君からそんなことを言われるとはね」

本当に、まだ心臓が落ちつかない。

「そうか?」

真面目な分、飛んでいるとは思っていたが。


「…うん、わりと」

正直、ここまで飛んでいるとは思わなかった。

「もう日本に居る期間は短い…どんなことでも、大切にしたいと思うから」

しかし、それは嬉しかった。
それだけ想っていてくれるのだと思ったから。

「…そう、だね」


彼女の音色を追いかけて、僕は居てもたっても居られず転校をした。
そこで、偶然に出会ったのが僕たちだ。

「だから、思い残すことのないようにと考えてしまうからかもしれないな」

最初は、彼女の音に惹かれた。
今でも彼女は僕の唯一だ。

だけど。


「…僕は、君が望むことなら…」


僕が求めたのは、“彼”だった。
それに後悔はしていない。

だけど、怖かった。

手が届くほど近くにある、欲しいもの。

それに触れれば、消えるのではないかと。

「いや、無理にとは言わない。ただ俺の我侭なだけだからな」

いつもの、冷静な顔で君は答えた。

「…ごめんね」

「気にしていない」

「………」


まだ、僕に覚悟がないんだ。




変わること。




それは、僕にはまだ…怖いんだ。






否定されたら、生きていけないから。


変わることを恐れてしまう、度胸のない僕を許して欲しかった。






「ごめんね…」


見送る君の背に、呟いた。











それでも、君は僕を求めてしまった。

“逃げることなど許さない”というように。



だから僕は答えるしかなかった。





「今日は、これくらいにしておく?」

彼女によって、集められたアンサンブルのメンバー。
その個人の練習に付き合ってもらっていた。

「そうだな」

互いに、楽器ヴァイオリンとチェロの弓を机に置くと、すぐにしまおうと置いてあったケースを開く。

「それなら、よかった」

松脂の汚れを取り、布で拭きとる。


「…そういえば、君はコンクールでシャコンヌを弾いていたよね?」

聞いては居ないけど、図書館にあったDVDでその光景を見て聞いた。
優雅…そして華やかで。

誉め言葉なんてでは表現できないくらいの美しい音。

それは今でも鮮明に思い出せる。

「ああ…」

「パルティータ第2番ニ短調の終曲。
すごいよね、バッハって。この曲自体…本当に、終わりが見えないように続く物語みたいだもの」

ケースに弓を緩ませて入れると、蓋を閉じる。


「パルティータ、それは終わりのない連鎖」


こちらを向いて、目の前に近づいてくる。

「…そんな音のように、人も続けていくのは感情の螺旋」


手が伸びて、


「想いは、欲望は。
それは留まることなく、果てなく続く。求めても、求めても止まなくて終わりがない」

顔が近づく。

「…ここは、学校だよ?」

呼吸する、音が。

「そうだな」

鼓動の、音が。

「誰か来たら…」

近くなる。

「今日、この練習室は俺たちで最後だ」

早くなる。


「…言い訳はどうするつもり?」


その音は、大きく、激しくなっていく。


「それは…君が一番得意だろう?」


止められない。


「…そうだね」


僕は困るように笑い、キスをした。

静かに押し倒すと床にその髪が広がる。

「…僕は大切なことだからこそ…その手を離したくなかったから、触れられなかった。怖かったんだ」
「今は?」

長い、睫毛がとても鮮やかに見えて。


「…君に触れたい。君が欲しいよ、とても」

澄んだ薄い茶の瞳が。


「じゃあ、求めればいい。俺は拒む理由など…ない」


求めてくる。

「…怖く…ないの?」

言葉ではなく、君はキスで答えた。

ベストに手を掛けて、ボタンを外していく。

スカーフのピンを抜いてピアノの上に置く。


「…君が…“独占したがる方”だとは、思わなかったよ」

まるで、神聖な儀式のようだと思う。

「…いつか来る変化を恐れていた自分は、もう居ない。今はただ、失うことを恐れるだけだ」


首に巻かれている赤いスカーフを解く。


「…強いんだね」

ひとつ、ひとつとボタンを上から外して行く。

「それは…ただの自分勝手にすぎない想いだとしても?」

「それくらい想える強さがあるだけでも君はとても…強いよ」

途中で止めて、その肌に触れる。


「……っ…」

熱を持った指先が触れると、肩がぴくりと反応する。

窓から入ってくる夕日は、僕たちを紅く染める。


「だけど…っ」


言葉を、また塞ぐ。
さっきよりも長く、強く。

「だけ…ど…それでは駄目なんだ…」

酸素を求め、肩が激しく上下する。

「…どうして?」


息をする肩、潤んだ瞳。

「忘れ…たく、ない…繋ぎ止めていたい、離したくない…すべてを変えていってしまった君が居ないなんて、もう考えられないんだ…」

肌蹴たシャツに映る、白い喉元。


ひとつ、大きく息を吐くと落ち着いたのか言葉が戻る。

「それならば、すべてを持っていってしまえばいい。
縛り付けてしまえばいい。どんなことをしても…依存させてしまえばいいと想った」

それくらい想える、独占欲は。

「“こんなこと”でしか繋ぎ止めて置けないわけがないと、分かっていても…それでも、君を求めずには、居られないんだ…」

愛しい人が思ってくれる深いくらいの愛と言う名の執着心。

それはどんなものよりも、美味なものだと知っている。

「…そんなに君が想っていてくれるなんて…考えなかった」


そんな禁断の果実に手を伸ばす。


「…嫌だろうか?こんな、エゴに塗れた主張は」


きっと、あとひとつの何かを越えてしまえばもう耐えられないと分かった。


「泣きそうなくらい、嬉しいよ」


本当に、涙が出そうだ。

壊すことを、怖がっていた僕に情けないと思う涙と。
君が想ってくれる心の深さを知った涙が。

「…そうか」


もう一度、もう一度と想いを“味わう”かのように何度もキスをする。

最初は、軽く。

そして、段々深くなって往く。


「ん…っ…は…ぁっ」


舌を絡め合うと淫猥な音が、響く。

「…綺麗だよ、蓮」

耳元で囁くと、君は恥らうように顔を赤らめ目を背ける。

「……っ…」

その姿、表情(かお)はどんなものよりも、美しくて。


「こちらを向いて…もっと見せて欲しいな」


とても淫らだと思う。

「………」


それでも、何も告げずに恥らうから。

…少しだけ、苛めてみたくなる。


顔に触れて、反らせた顔を正面に向けてまたキスをする。


「………は…っ」

その間に、ベルトのバックルを手早く外すと同時に、舌を根元から絡め取る。

「…んんっ!!」

驚いた君は、目を見開く。
くちゅりと、

唇を離す。

「…まだ早い訳じゃ…なさそうだね」


下の方に触れると、そこはもう硬くなっていて。
苦しそうだ。

「…でも、もう少しだけ楽しませて欲しいから、我慢してね」

「…っ!!」

意地悪なことを言うと、自分でも思う。

そして顔を段々と下へと、舌を這わせて行く。

「…んっ…あ…はあっ…」


尖った二つの先端の片方に行き当たると、それを軽く舐め上げるように口に含む。


「…は…っ」

反応した身体が背を反らす。

「…ここが、感じるのかな?」

鼓動が、もっと早くなるのが分かる。
今度は反対の方の先端を、軽く摘み上げる。

「…んんっ!」

再度、組み敷いた身体がもがくように動く。

「痛かった?」

「……いや…大丈…夫…だ」

最初よりも、顔は上気して赤くて。


見つめてくる瞳が、欲しているのがわかるから。


「それなら…よかった」


僕も耐えられなくなってくる。


「意地悪しちゃったし、一度、出す?」


「…まだ、大丈夫…君…が、早く…欲しいんだ…」

「でも…」

「俺はこの一分だって、一秒だって。愛しいと思える“今”を、感じたいんだ…」

上半身を起こして、まっすぐ此方を見据えてくる。

自分が思っていることを、自分が考えていたことを読まれたような気がした。
いや、自分と“同じ想い”だったと自惚れたかったのだと思う。

「本当に?」

あまりにも、都合がよすぎて錯覚だとも思った。

「…嘘なんて…言わない」

信じたくても、信じられないと思ってしまっていた。

「僕は、もう僕を止められない。
これで僕は君がなくては、生きられなくなってしまうよ?」

でも、これが…現実だ。

越えてはならないと、止めていた理性が。


「今でなければならなかったことを、後悔するくらいになればいい」

その言葉は、呪縛。


「…好きという言葉では足りないくらい、愛しいよ」


留めていた最後の歯車が、動き出した。


「は…っ……」


骨まで喰らい尽くす程激しく、噛み付くようにキスをする。


「……っ……も…っと」

息が止まるくらいの、激しさ。

「溶…ける…くらい…」


求め、止まない欲望。


「君の…望みに僕は答えるよ…」

僕は自分のネクタイを緩め、シャツのボタンを数段外す。

身体が、熱い。

「…はぁ…ん…っ…」

君は、もっと欲しいという表情で強請る。


“もう、戻れないんだよ”

上気した頬、涙が零れそうなほど潤む瞳。


“戻る?そんなつもりはないだろう?”

それは、至高の快楽への誘惑。


“逃げることなどできない”

「……っ…はぁ」

唇を離すともう、着ていたシャツは最早肌を隠す役目などなく。
汗と唾液で肌色が透けている。


“これは鎖、これは呪縛”


ベルトが付いていた部分から一気に下着ごと引き下ろす。


「…本当に、苦しそうだ」


“禁忌の果実に手を伸ばしてしまった時から”


恥部を人目に晒してしまった、ということに羞恥の心が頬をより紅く染める。

「…そんなに、見ないで…」


それは、甘い林檎にかかった甘い蜜。


“逃れることなど許されないのだから”


僕は彼の口に指を入れて舐めさせる。

「…んっ…あ…」


指先ですら、慈しむように君は舐め上げる。


「…最高に…官能的だよ」

僕はその指を引き抜くと、銀糸を伝わせながら自分の口に含ませる。

「……甘い…ね」


唾液で濡れそぼった指先を、君の求めるところへと持って往く。

「…は…ぁ…っん…っ…」

呼ばれてしまった本能と渇望。

「素敵な鳴き声をもっと聞かせて欲しいんだけど…駄目?」


涙が零れそうな瞳は、そうではないと言う。


「…早く…っ」

“欲しい”

聞こえないくらいの声。
本当は言葉にすら乗せていないのかもしれないけど。


でも、僕の耳には届いてしまった。

欲望が本能に呼ばれ、連鎖していく。


「…僕もだよ」

僕も自身のベルトに手を掛ける。


“一緒に、堕ちよう”


君は幸せそうに、笑った。


「ん…っ…!」

目を細めて、まわされた腕に、指先に力が入る。

背に爪が喰い込み、痛みと甘い快楽が宿る。

君の中はきつくて、はとても熱かった。


「…っ…止める?」

心配になるが、それでもいいと君は言う。

「大丈夫…だから…」


今は、今しかないからと。

「…分かった。君が求めるままに」

だから僕も、求めるよ。


その一瞬、一瞬を噛み締めるように。


「…あ……っ…はぁ…」


心配だと想ったけど、そんなことを想う余裕なんてなかった。


「あ…は…あっあ…っあ…っ」


狭い部屋だからだろうか。

鳴く声と何度もぐちゃりと合さる粘膜の音が、耳に付いて離れない。


「…君を気遣う…余裕は…なさそうだ…よ」


何度か、他人と身体を重ねて寂しさを紛らわしたこともあるけれど。

「……は…あ…ん…っ」

より深く奥へと、君を犯していく。


此処まで、それは取り付かれるような快楽を味わったことはなかった。


君の瞳から、涙が零れる。

汗が垂れていく。


「っあ…っ…あっ!」


もう、唾液なのか何かわからないくらい。

「…あ…あっ…はぁ…ああっ!!」


溶けてしまった気がしたんだ。


「僕…も…っ!!」

ふたりで、堕ちていった。






君に溺れた僕は、君無しでは生きられないよ。







跡に残ったのは、行ってしまったことに対しての少しの後悔と虚無。
汚してしまった制服とシャツと足を伝う白い残滓。





「…ごめんね」

まだ、互いに息が上がっている。


「…俺から言ったことだ。気にするな。それに…」

汗で額に張り付いた髪が目にかかっていたから、それを取りさると君は静かに、そして嬉しそうに笑う。

「…これで、君を忘れない。きっと、君も俺を忘れないだろう?」

本当に、優しく笑うから。

「忘れなんかしないよ。何かがあっても…何かなんて、なくても」




愛しくてたまらなくて、飛びつくように抱きしめてしまった。




そう。

僕たちは、もう戻れない。




「世界中どこに居たって、君と供にあることを誓う」



逃げるつもりも戻るつもりもないけれど。



「こんな僕の身体と心だけど…」



僕たちは蛇の嘘の誘惑に負けて、甘美なる禁忌の果実を喰らった。

もう、茨の道を生きるしかない。







「君が望むのなら…この身のすべてを君に差し出そう」

君となら、どこまでも堕ちていける。







この安息を約束された楽園を出よう。












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