「今日は遠回りをしていかない?」 「何か用事でも?」 「今を、少しでも長く楽しみたいから…かな」 「今、を?」 「君と、もう少し一緒にいたいんだ。それじゃあ、駄目かな?」 “供にありたい”それは、自分も同じだったから。 「…構わない」 「よかった」 そう聞いて、笑う君も…
告げることの無かった言葉は、何処へ往くのだろう。
“Joy to the world, the Lord is come”
吐く息が辺りに白く舞う。 “Let earth receive her King”
「主ねえ…つくづく日本人はクリスマスといった行事が好きだなと思うよ」 「行事というものは、共有するから楽しいのではないのか?」 「そういう君はどうなんだい?」 「いつも…一人か。祖母も忙しかったり、両親ともにコンサートなんかであまり家にはいないことが多い」 「そうなんだ」 「…でも、一度も淋しいなどと思ったことはない」 それが、当たり前だったから。 なぜか、残念そうな顔をする。 「そう…ねえ、少し入ってみない?」
「いや、ない」 「じゃあ、僕に付き合ってよ」
教会へと足を向かわせた。
地上の人々に 確かめさせる
「いい“音”だね」 「……」 ふたりで目を閉じてその紡がれる音楽の世界に身を委ねた。
“No more let sins and sorrows grow,Nor thorns infest the ground” 神への賛歌。
それでも、私たちは罪と悲しみと苦しみの中に立っている。
歌の終わりに、小さな声で君は囁いた。
練習だったからだろうか、観客は自分たちだけだ。 「ありがとうございます」
「皆さん、お疲れ様でした。
「ねえ、お兄ちゃん。私たちのお歌はどうだった?」 一人の、元気な女の子が加地に駆け寄ってきた。 「とってもよかったよ」 「ああ、僕は嘘はつかないよ…可愛いレディには特にね」 さらりと発せられる優しいその言葉を聞いて、その子供は照れたのか下を向いた。 「えっと…その…また、聞きにきてくれる?」 「ああ。約束するよ」 「じゃあ…またね、お兄さん!横のお兄さんもね!」 「気をつけてお帰り」 子供たちが、こちらに向かって「またね」と手を元気に振る。 そこで自分は何もしなかった…出来なかった。
「練習でしたが…聞いて下さってありがとう」 「こちらこそありがとうございます。 「まあ、お上手ですわね」 シスターはふふ、と手を口元に当てて笑う。 「それは、光栄です」 やはり人当たりのいい顔で、笑った。 「ああ…そうだわ。寒いですし、お茶でもいかがでしょうか?」 シスターはせっかくだからと、言ってきた。 「えっと…僕は構わないけど、君は?」 どうするかと、こちらを向いて尋ねて来た。 「…俺は…」 急な話だったので、少し戸惑った。 「ジンジャークッキーも焼いてあるので、是非ご一緒しませんか? そう言って、シスターは優しく笑った。 「…では、お言葉に甘えて」 乗る気もあまりなかったが、断る気もなかったので了承した。 「是非、宜しくお願いします」 「はい…あ。ちょっと片付けてきますのでしばらく見学でもしていてください…と言ってもそんなに見るものはありませんが」 「お手伝いしなくても、よろしいのですか?」 「ええ。片付けなければならないものもありますし、ゆっくりしていてください」 「すいません」 「構いませんわ。では、少し待っててくださいね」 そう言って、シスターは奥の方へと消えて行った。 そのシスターが見えなくなってから、君は呟いた。
「苦手?」 それはこの教会に、この歌に対してとても不思議な言葉だと思った。 「奏でられる音楽、乗せられた歌詞。どれも素敵に輝いているのに、 ステンドグラスを見上げながら、呟く。 「…どうして?」 「僕には、眩しすぎるから…かな?」
手が、髪に触れる。 「…これからという明日よりも、過去と、今が続けばいいと思っているよ」 その指先が、髪を絡める。 「…意外だな。君はロマンチストだと思っていたが」 「僕は本来はリアリストだよ。 「そうか…」 「見たい夢を見るくらい、いいじゃないか。叶わなくとも、ね」 僅かだが、悲しい表情が見えたような気がした。 「…何を思ってかはわからないが、君は…」 言葉を一瞬、飲んでしまう。 「何?」 「…君は本当に、それでもいいのか?」 「ああ、いいんだよ。叶わないから、美しいともいうだろう?」
「俺は、悲しい…と思う」 とても、悲しいと思うから。 「僕も、悲しいとは思うよ」 「そうわかっていても、それでも君は何故求めない?」 怖いと知っている。 「求めているよ。ただ、僕は…」 目線を下に向ける。 求めている世界と、求めているモノは手に入るだけじゃあ駄目なんだよ」 「手に入れるだけがすべてじゃないと?」 「そう。だから“それ以外のこと”で僕は“得て”いるんだよ。だから、悲しいなんて思わない」
「それに、君はいつかは遠くへ行ってしまうから…」
それは今、自分がこの人と供にこの世界に存在する定義が、否定されたような気がした。
その音は、この指先が奏で生み出す旋律。 捨てることの出来ない音楽という存在。
触れて、感じて欲しい。 「そうできたら…いいと思う」
「………」 その間は長く感じたが、ほんの数秒なのだろうと思う。 やがて唇が離れて、その口から言葉が発せられた。 「…神への冒涜だって、怒らないの?」 困っただろうという、顔をする。 「…君は、神を信じていないだろう?」 驚いた顔をして、笑った。 「いたらいいよね…とは思っているよ」 その後はまた悲しそうに笑う顔をすると思ったから、その顔を見る前に言葉を止めた。 思ってもいなかった行動だったことも知っている。
舌で唇を舐め上げる。 「…ん…っ!」 “そんなこと”まではしてこないだろうと思っていたのか、怯んだのだろう。 「っは…ぁ…っ…」 互いに呼吸が、荒くなる。
僅かに目を開ければ、ステンドグラスが歪んだように映る。
ならば、もう見えないように。他のものなんか見えないように。 「…はぁ…っ…ん…」 回される、腕。 求め、激しくなる口付け。 「………ん…っ…は…ぁ…」 より深く、長くとただ求めていると、互いに触れる身体が熱くなる。 自分もだが、向こうも歯止めが利かなくなると思ったのか、片腕を後ろに着くと上半身から起き上がり身体を離してきた。 唇が離れ、間を光る銀糸が伝う。 「は…っ…は…あ…っ」 向こうも、自分も。 少しして落ち着いたのか、此方を向いて口を開いた。 「…悪い…子だね。“カミサマ”の居る前で」 願ったのは、君で。 「神…なんていないといないのは…君だろう?」 そう願ったのも、自分だ。 「ふふっ…そうだね」 笑うと、君は起き上がり椅子に座り直るとまた俺を抱き寄せて耳元で甘く囁いた。 「…ねえ、塔の中だけの逢瀬しかできない囚われのラプンツェル。そのうつくしい声で歌って、魔法の掛かった長い髪で君の世界に、僕を呼んでくれる?」 「……音楽が、魔女だというのか?」 「そうなるのかな。君が、僕の前に居る間だけは…僕のためだけにその音を聞かせて欲しいんだ。僕は、君の世界に居たいんだ」 「連れ出さないで、留まるのか?」 「そうしたら、君はずっと其処に居るから…ね」
本当に欲しいものは、自分の手には入らないと言う。 じゃあ、囁いた愛は? 嘘ではなく真実と君は言う。 本当に思っているからこそ“聞けない”
静かに唇が離れた。
誘惑に、耐えられなくていい。
がちゃりと、ドアが開く音がした。
シスターの声が響いた。
立ち上がり名を呼ぶ、君の声が耳に残る。
云えなくても、伝えられなくても。 それでも俺は… 「どうかしたのかい?」 俺はどうしようもないくらい、好きだ。 触れたい、触れられたい。 「何でもない…行こうか」
「寒いですから…早くしないと冷めてしまいますわよ」 シスターが笑う。 全てを奪い去って欲しい。 差し出してくれる、手。
「…ああ。行こうか、葵」
“神の深き愛なんて、届かない世界なのだから魔女が帰ってくる前に、外へ連れ出して欲しい”
どちらも天秤に載せて選ぶことができないとわかっている自分が告げることは、出来なかった。
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