変わらない明日が来る

明日も明後日もずっと一緒にいられると思っていたんだ。

いつかは来る終わりがあったとしても、それでも笑っていられると想っていた。

でも。

その終焉は、認めるには残酷すぎて

あの日、変わらないと信じていたものは崩れていった。


















somewhere

此処に居る私。何も無いはずの私。貴方の存在とその歌声は私の喪失を埋めてゆく。


























太陽の隠れた空に、鐘が空高く鳴り響く。

それは、死者を送るひとつの旋律。

葬儀が済んで皆が去ったところ、自分はひとりで墓の前に立っていた。


冷たい土に埋められた棺の中の姿。
白い花に埋もれた、姉。


その表情、姿が。


目に焼きついて離れない。

学院の一族の自分たちは“音楽の祝福”というものの元に生まれた。

音色を奏で、旋律を紡いで…音楽を愛してゆくことに何も私たちは疑問も持たなかった。

だが、初めて疑問を持った。

「…姉さん。貴女はそこまでして…得たものは何だった?」

死者は答えない。

それは、“死人に口無し”だから。

「本当に幸せだった?」


ぽつり、ぽつりと肩が濡れていく。

曇った空から、ついに雨が降り始めたようだ。


「音楽が…姉さんを蝕んだ」


それでも音楽を愛した。
どれだけ、慈愛が深いのだろうと想う。


「それでも、愛することを辞めなかった」


自分には到底真似など出来ない。


「…俺には愛することなんて出来ないよ」


やがて雨は、激しく降り始めた。


空を見上げる。

「もう、音楽を憎むことしか出来ないよ…」

曇る空。冷たい雨。

ただそれが降り注ぐのを見ているだけ。


「…まだ、居るのか?」


いつも聞いていた、先輩の声だ。


「………」

俺は、答えない。


「…風邪、ひくぞ」

「………」


それでも、無言のまま。


「……戻らない、変わらないと知っているのに。どうしても…後悔してしまうのは分かるが…」

やっと、俺は口を開いた。


「…音楽の喜びを知っていたこの気持ちなんて、無ければいいのに」

何かが、投げ出されるような音が聞こえた。
差していた傘を投げたのだろう。


「俺だって、知っていた。苦しみも、喜びも。
それでも音楽を愛していたから、美夜はすべてをかけた」

そして、背から俺を抱きしめてきた。

「…俺には、何でそのすべてがない?」


「…それが、お前だからだ」

「それでも音楽を旋律を愛する心があれば、俺も愛せたのに」


虚無も喪失も抱いても、それでも強く生きていけたのに。


「何で、俺は無いんだろう…」

雨なのか、涙なのか。
それがどちらかはわからないけれど、泣けない自分の代わりに彼が泣いてくれていることだけは分かった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

先輩の家に連れ込まれ、強制的に風呂に入れられる。


そして二人して落ち着いたころ、俺は自分の決意を告げた。


「音楽が姉さんを殺した…だから音楽を俺は捨てる」

貴方は決意を聞いても。

「じゃあ、俺は音楽に生きることにしよう」

反対の言葉を、あっさりと言ってきた。

「何故?」


「…美夜を忘れないために」


捨てるより、続けるという辛い選択を貴方は選んだ。


「お前は、辛いことをなんかしなくていい。俺が、それを背負うから」


優しく笑う金澤先輩の顔。


「……っ…」


正面から告げる貴方が。


あまりにも優しくて。泣きたいほど痛くて。

「…貴方が背負うというのなら…傷跡を俺にを残して欲しい」


貴方に、辛いことを迫った。


「…何を、言っている…」


「貴方が続けるということ、俺が手放すということ。俺が継ぐべきものを貴方が背負うなら。
俺にその事実を、生涯忘れないような傷跡を下さい」


雨のせいで夏の夕方も薄暗い世界。

「こういう…ことですよ」

持っていたタオルを投げ捨てると、金澤さんを押し倒しながらキスを仕掛けた。

「……ん…っ……」

静かな雨の音と、卑猥な音が響く。


暫くはその深い口付けを堪能していた。


唇を離して、俺は告げる。

「…傷跡が、消えないように…俺を…抱いてください」

 

それが“捨てる”罪の象徴となることを願って。

 

 

 


姉の葬儀が終わった日。

貴方が俺を抱いた日から、ヴァイオリンに触れることはなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

やがて、金澤先輩はイタリアに行った。
留学だと言っていたが、見出され瞬く間にプロになった。

オペラの舞台を華やかに彩っていた。

自分は、見ることはなかったが。

きっと美しい声でその舞台で…観客を魅了したのだろう。


音楽を憎む私は、進学は経済という全く違うところへ行ったが。
それでも彼の“声”は好きだった。


大学を卒業し、学院以外の経営するものの事業に着手していた。
目まぐるしく忙しい日々。

数年の月日が流れたころ、彼は突然舞台から姿を消した。
調べたところ病気だというが、真実は“それだけ”ではなかった。

今は何処に居るかわからないという。

 

 

貴方は其処に居たはずなのに。

 

私は此処に居るのに、貴方は何処にも居ない。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

舞台の上で、貴方が歌う。


「          」


しかし、声は聴こえない。

「…金澤先輩…?」

あの美しい声は、響かない。


でも貴方の感情だけは聴こえる。


“悲しい”


何故だろうか?


“苦しい”


貴方の心だけが響いて

“愚かだ”


それでも声は聞こえない。


「          」

観客は、私だけ。

声の無いアリアを、私だけが聴いている。

 


私は何も告げることが出来なくて見ているだけでも、貴方は歌い続けた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

夢だったのだろうか。
不思議だったと想うが目が覚めると胸がざわついて、仕方がなかった。

 

“待っているわ、貴方を”

 


ふと、姉の声が聞こえたような気がした。


「…姉さん?」


すぐに起きて出かける支度をした。


そのまま何かに導かれるように車を走らせると、姉の墓に辿り着いた。

傘を持ち車を降りて、走る。

「……金澤…先輩…」

墓の前で貴方は雨に濡れながら、佇んでいた。

「…女に振られたくらいで此処まで簡単に堕ちてしまったよ」


たったそれだけの出来事で、簡単に音楽を失ってしまった。

その言葉を聴いたとき、絶望でも失望でもなく。

悲しみと空虚の貴方がが私に見えたような気がした。


「…笑ってしまうよな…こんなことで…」


涙も流れないくらいの、悲しみ。


「……」

私はただ貴方の言葉を聴いているだけ。

同時に、自分たちは音楽をもう“正面”から愛せないことに気づいた。


“失って”しまったのだから。

「…金澤さん…」


傘を置いて、自分も濡れて。


「…笑って、欲しいんだ…」

貴方の元へ走る。


「美夜に馬鹿だと笑って、怒ってもらいたいから、此処に居るのに」

貴方の肩に触れて、その背から抱きしめる。


「俺は、何を生きてきたんだろう…」


残るのは後悔の念と、戻らない過去。

あの日と同じ空で、あなたの代わりに私は泣く。

音楽を捨てた私。

音楽に見捨てられた、彼。


降り止まない、雨。


あの日と今日が重なって気づいた。

何処にも居ないはずの自分は、此処に居た。

あの日夢にみた、歌のないアリアを私だけが聞くために。


貴方の為に、此処に居た。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 


「一緒に、這い上がれないくらいの奥底へ行きましょう」

喪失と空虚を互いにわたしたちは埋めあう。
それが虚しいことだと分かっていても。


「…それが、望みです」


貴方は、拒むこともなく。

私を強く求めてくれた。

「…あ……っ…」


撫でる手が、熱を帯びる。

あの日と同じ、雨の振る夏の夕方。

違うのは、自分の家だというところだけ。


「…ん…っ」

私を貪るように求めてくれる貴方が、此処に居る。

回した腕に、指先に力を込める。

今度は、貴方の背に…爪跡を残そう。

「……っ…」


血が、滲んだのが分かった。

腕を放し、指先についた血を舐める。


「…貴方の味だ」


なんて美味なのだろう。


「…俺にだけ傷つけて、どうする」


「そうですね…」

唇を噛み締めて、血を滲ませる。

「…これなら、不公平じゃない」

そのまま、口付ける。


「…ん…っ」

唇を丁寧に舐める貴方の舌が、私を恍惚させる。

血は、さらに滲み出る。


「…はぁ…っ…」


唇を離すと、貴方の唇は血の色をしていた。

私も自分の血の色で染まっているのだろう。

私は、貴方を誘惑するように笑う。


「…もっと、熱を下さい」


「………」


貴方は、静かに見つめるだけ。

「今を忘れてしまうくらいの快楽を…私に下さい」


それでもわたしは…貴方を求めずには居られなかった。

痛みも悲しみを分かち合える、唯一の存在だと知っていたから。


何度交じり合ったのだろう。

「…はぁ……っ」


首筋に刻んだ、刻印が小さな明かりによって見える。


「…ん…っ」

何度、貴方によって果てたのか分からない。


彼の身体の上に乗せられ、挿れられる。


「…自分で、動いてみろ」

「……っ…あっ…」


突き上げてくるような、快楽を本能のまま貪る。


「…は…っ…あ…」


ぐちゃりと混ざるのは体液と汗と、擦れ合う粘膜の音。

「あ…は……っ」


腰を少し浮かせては、また下ろす。

「は…あ…っああっ…」

奥まで、届くから。

「…あ…っ…ん」


少し早めると、もう達しそうになる。


「出しても…いい…俺も…出そうだ…っ」

もう、自分が何なのか分からないくらい。
貴方に溶けている私は、本能のまま快楽をを求めた。

「…あ…っ…あ…ああっ!!」

 

 

 


失ったという悲しみは、貴方の空のような心と交じり合って
他人が入ることのない一つの世界を作り出した。

 

“空虚”と“喪失”が混ざり合ったひとつのせかい。

 

“あなたといっしょにいれば、このせかいならば生きていける”

 

 


「…これが虚しい行為と分かっていて。私が此処に居て、貴方は其処に居なくても」

すべてが終わり、残ったのは動けないくらいの疲労。

「…私は、貴方が欲しかった。振り向いてくれなくてもいい。ただ貴方が、羨ましくて…そのすべてが欲しかった」

その中で、私は言葉を告げてゆく。


「…そう言われても…俺のすべてをあげることなんて出来ないと…思う」

「いいんです。私はそれでいい。見てくれなくても、それでも貴方がほんの少しでも見てくれればいい」


「…俺は…空だから。最初から此処に居ないんだよ」

貴方は分かっていた。
自分が、空虚だということを。

「…空でも…それでも貴方に惹かれて止まない私のほうが虚しいではないでしょうか?」


何処かにいるという存在の意味が欲しかったのだから。


貴方の顔に触れる。


「…俺はお前が“居る”ことが嬉しい。そして、その“想い”が欲しいとも思う…こんな空でもいいならくれてやりたいよ。
だけど…」


ぐい、と貴方の顔を引き寄せて、口付ける。


「…っ……」

すぐに唇を離して私は貴方を真っ直ぐ…捕らえるように見つめる。


「わたしは…貴方の空虚すらも愛おしい」


わたしは貴方以外のものなんて、きっともう求めない。


「だから、それで構わない」

目を見開いて、驚く貴方。

「…お前は…」


私は静かに笑った。


「傷は分かち合った。もうこれで貴方の空虚は私のもの…それ以上の答えなどいらないでしょう」

 

そう、これでいい。

 


「…私は、此処に居ます。ずっと、貴方の側に居ます」

 

 

 

 


金色に輝く月は私を照らすだけなのだから。

 

 

 


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