変わらない明日が来る 明日も明後日もずっと一緒にいられると思っていたんだ。 いつかは来る終わりがあったとしても、それでも笑っていられると想っていた。 でも。 その終焉は、認めるには残酷すぎて あの日、変わらないと信じていたものは崩れていった。
somewhere 此処に居る私。何も無いはずの私。貴方の存在とその歌声は私の喪失を埋めてゆく。
太陽の隠れた空に、鐘が空高く鳴り響く。 それは、死者を送るひとつの旋律。 葬儀が済んで皆が去ったところ、自分はひとりで墓の前に立っていた。
学院の一族の自分たちは“音楽の祝福”というものの元に生まれた。 音色を奏で、旋律を紡いで…音楽を愛してゆくことに何も私たちは疑問も持たなかった。 だが、初めて疑問を持った。 「…姉さん。貴女はそこまでして…得たものは何だった?」 死者は答えない。 それは、“死人に口無し”だから。 「本当に幸せだった?」
曇った空から、ついに雨が降り始めたようだ。
「もう、音楽を憎むことしか出来ないよ…」 曇る空。冷たい雨。 ただそれが降り注ぐのを見ているだけ。
俺は、答えない。
「………」
やっと、俺は口を開いた。
何かが、投げ出されるような音が聞こえた。
そして、背から俺を抱きしめてきた。 「…俺には、何でそのすべてがない?」
「それでも音楽を旋律を愛する心があれば、俺も愛せたのに」
雨なのか、涙なのか。
***
先輩の家に連れ込まれ、強制的に風呂に入れられる。
貴方は決意を聞いても。 「じゃあ、俺は音楽に生きることにしよう」 反対の言葉を、あっさりと言ってきた。 「何故?」
「…貴方が背負うというのなら…傷跡を俺にを残して欲しい」
「こういう…ことですよ」 持っていたタオルを投げ捨てると、金澤さんを押し倒しながらキスを仕掛けた。 「……ん…っ……」 静かな雨の音と、卑猥な音が響く。
「…傷跡が、消えないように…俺を…抱いてください」
それが“捨てる”罪の象徴となることを願って。
貴方が俺を抱いた日から、ヴァイオリンに触れることはなかった。
***
やがて、金澤先輩はイタリアに行った。 オペラの舞台を華やかに彩っていた。 自分は、見ることはなかったが。 きっと美しい声でその舞台で…観客を魅了したのだろう。
数年の月日が流れたころ、彼は突然舞台から姿を消した。 今は何処に居るかわからないという。
貴方は其処に居たはずなのに。 私は此処に居るのに、貴方は何処にも居ない。
***
舞台の上で、貴方が歌う。
「…金澤先輩…?」 あの美しい声は、響かない。
“愚かだ”
観客は、私だけ。 声の無いアリアを、私だけが聴いている。
***
夢だったのだろうか。 “待っているわ、貴方を”
傘を持ち車を降りて、走る。 「……金澤…先輩…」 墓の前で貴方は雨に濡れながら、佇んでいた。 「…女に振られたくらいで此処まで簡単に堕ちてしまったよ」
その言葉を聴いたとき、絶望でも失望でもなく。 悲しみと空虚の貴方がが私に見えたような気がした。
私はただ貴方の言葉を聴いているだけ。 同時に、自分たちは音楽をもう“正面”から愛せないことに気づいた。
「…金澤さん…」
貴方の元へ走る。
貴方の肩に触れて、その背から抱きしめる。
あの日と同じ空で、あなたの代わりに私は泣く。 音楽を捨てた私。 音楽に見捨てられた、彼。
何処にも居ないはずの自分は、此処に居た。 あの日夢にみた、歌のないアリアを私だけが聞くために。
***
喪失と空虚を互いにわたしたちは埋めあう。
私を強く求めてくれた。 「…あ……っ…」
あの日と同じ、雨の振る夏の夕方。 違うのは、自分の家だというところだけ。
私を貪るように求めてくれる貴方が、此処に居る。 回した腕に、指先に力を込める。 今度は、貴方の背に…爪跡を残そう。 「……っ…」
腕を放し、指先についた血を舐める。
唇を噛み締めて、血を滲ませる。 「…これなら、不公平じゃない」 そのまま、口付ける。
唇を丁寧に舐める貴方の舌が、私を恍惚させる。 血は、さらに滲み出る。
私も自分の血の色で染まっているのだろう。 私は、貴方を誘惑するように笑う。
「今を忘れてしまうくらいの快楽を…私に下さい」
痛みも悲しみを分かち合える、唯一の存在だと知っていたから。
「…はぁ……っ」
何度、貴方によって果てたのか分からない。
「……っ…あっ…」
「あ…は……っ」
「は…あ…っああっ…」 奥まで、届くから。 「…あ…っ…ん」
もう、自分が何なのか分からないくらい。 「…あ…っ…あ…ああっ!!」
“空虚”と“喪失”が混ざり合ったひとつのせかい。
“あなたといっしょにいれば、このせかいならば生きていける”
すべてが終わり、残ったのは動けないくらいの疲労。 「…私は、貴方が欲しかった。振り向いてくれなくてもいい。ただ貴方が、羨ましくて…そのすべてが欲しかった」 その中で、私は言葉を告げてゆく。
「いいんです。私はそれでいい。見てくれなくても、それでも貴方がほんの少しでも見てくれればいい」
貴方は分かっていた。 「…空でも…それでも貴方に惹かれて止まない私のほうが虚しいではないでしょうか?」
すぐに唇を離して私は貴方を真っ直ぐ…捕らえるように見つめる。
目を見開いて、驚く貴方。 「…お前は…」
そう、これでいい。
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